桜井三郎左衛門
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天正12年(1584年)、9月、越中の佐々成政は前田利家の領地の分断を狙って侵攻し、末森城(※当時は「末盛城」と表記)を包囲しました。籠城部隊は佐々軍に本丸まで迫られながらも、必死に防戦しましたが落城は時間の問題となっていました。
前田利家の援軍が金沢城から出発しましたが、街道には佐々軍が待受けており、援軍の行く手を阻んでいました。この時、高松村の桜井三郎左衛門は、佐々軍に気付かれることなく進軍できる海岸沿いの裏ルートを進言しました。利家はこの進言を受け入れ、前田勢は佐々軍の警戒をかいくぐり、末森城を囲む佐々軍を撃退することに成功したのでした。
戦いののち、三郎左衛門の功績により、高松村は地子銀(住宅に掛けられる税)を免除され、能登街道の宿場町として長きにわたって繁栄しました。三郎左衛門の死後も、桜井家は文化元年(1804年)まで高松村の十村役を務めました。
写真 高松産業文化センター前の桜井三郎左衛門像
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