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「哲学の道」探訪 歩いてみよう!西田幾多郎ゆかりの地

かほく市の偉人として顕彰されている西田幾多郎については、JR宇野気駅前(東口前)から出生地である森区の集落にかけて多くの散策スポットがあります。
ここでは、世界的哲学者として有名な西田幾多郎のゆかりの地を紹介しましょう。
一度訪れてみては如何でしょう。

西田幾多郎博士立像

宇野気駅前に立てられているブロンズ製の立像です。平成2年に建立されたもので、像の高さ 1.8メートル 、台座の高さ 1.3メートルです。

「哲学の小径」と宇ノ気中学校グラウンド「哲学の径」

宇野気駅前の通りに面する北國銀行宇野気支店の横から宇ノ気中学校グラウンドに向かって整備された小径です。平成4年に整備されたもので、西田幾多郎の書碑「道」や銅像「考える人」の複製が配置されています。
また、その先の宇ノ気中学校グラウンドの周囲には「哲学の径」が整備され、西田幾多郎の言葉を記した銘版が置かれています。

哲学の小径

西田幾多郎生い立ちの碑

西田家は、藩政期には加賀藩の十村を務めた由緒ある家柄で、現在のかほく市森(旧河北郡森村)に屋敷がありました。類焼で家屋を失った西田家は、その後現在の宇野気駅前の本楽寺付近に移り、西田幾多郎はその家で3~13才頃まで過ごしました。家があった場所には、昭和26年に建立された「西田幾多郎生立ち之碑」があります。
石碑横の説明版には、西田幾多郎が詠んだ短歌「吾しなば 故郷の山に埋れて むかし語りし 友を夢みむ」が記されています。

生い立ちの碑

宇ノ気小学校敷地内にある石碑他

ア)西田幾多郎の胸像

宇ノ気小学校は、その前身が西田幾多郎の父得登(やすのり)が開校した学校であり、西田幾多郎の母校でもあります。そのため、西田幾多郎に対する地元住民の顕彰精神が旺盛であり、同小学校の敷地内には西田幾多郎に関わるものが複数あります。
学校正面前には、昭和30年に「宇ノ気小学校創立八十周年記念」として建立された西田幾多郎の胸像が置かれています。なお、この胸像の複製は、市内の金津小学校・宇ノ気中学校・石川県西田幾多郎記念哲学館、そして姉妹都市であるドイツのメスキルヒ市にも置かれています。

宇ノ気小学校敷地内の胸像

イ)「無」字頌徳記念碑

宇ノ気小学校の前庭には、昭和25年に建立された 「無」の字を刻んだ頌徳記念碑があります。これは、西田幾多郎の 書「無我」のうちの「無」部分を陰刻したものです。毎年、6月7日の西田幾多郎の命日には、この石碑の前で寸心忌碑前献花式が行われています。

ウ)「無」字モニュメント

宇ノ気小学校校舎の壁面には、「無」の字のモニュメントが配されています。昭和42年につけられたもので、字はブロンズ製で、高さ4メートル、幅 3.5 メートルです。

宇ノ気小学校の壁面

哲学の道の歌碑

JR宇野気駅東口前から西に延びるメイン通りは、通称「哲学の道」と呼ばれ、通り左右の歩道部分に計 10 基の銘版が設置されています。銘版には、西田幾多郎が詠んだ歌 25 首が刻まれています。

哲学の道の歌碑

森コミュニティセンター前の銅像と歌碑

西田家があった森区(旧河北郡森村)のコミュニティセンター前には、西田幾多郎の銅像と歌碑が置かれています。歌碑には、生い立ちの地と同様、「吾しなば故郷の山に埋れて むかし語りし 友を夢みむ」が刻まれています。

長楽寺

森区にある長楽寺は、西田家の菩提寺です。境内正面には、西田幾多郎の幼少時代の友人であった力士「若の森」の名を刻んだ石碑があります。これは、西田幾多郎の揮毫によるものです。

長楽寺若の森石碑

西田幾多郎出生地

かつて西田家の屋敷があった場所には、西田幾多郎出生地の石碑と説明版が立てられており、以下のような説明が書かれています。

西田幾多郎出生地の石碑説明版

西田幾多郎の墓

森区内の共同墓地には、西田家の墓所があり、「西田一継標」と刻まれた最も大きな墓標の墓に、西田幾多郎が納骨されています。また、その遺骨は分骨されており、京都の妙心寺(霊雲院)と鎌倉の東慶寺にも墓があって、三ヶ所でお参りされています。

お問い合わせ

教育部 生涯学習課
〒929-1195 石川県かほく市宇野気ニ81番地
電話番号:076-283-7137
ファックス:076-283-3643